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赤坂整形外科

院長のオリジナルの考えをのせています。今までの考えを残してゆくつもりで筆を執りました。読み物だと思ってください。
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コーヒーブレイク
110、私が整形内科医になったわけ3

 4番目の出張病院時代の話からの続きです。

 この病院は、外傷中心の病院と紹介しました。前回の手の外科の症例もほとんどが外傷です。
 この病院勤務で、一人で、自分が中心になって手術をする実力が付きました。つまり、上の指導する先生がいなくても、ある程度の手術なら助手とともに出来る と言う意味です。エピソードを2つお話します。
 医師になって2年目の先生に、深夜に、下肢の開放骨折がきた と呼び出されました。この病院では、緊急を要する例は、夜中でも手術が始まります。つまり、他では手に負えないような重症例がくる、3次救急病院です。開放骨折とは、傷から骨折している骨が見えたり、骨が皮膚の外に出ているような骨折です。駆けつけたところ、前期のイメージから悪い意味で程遠く、膝の関節部分で、ほとんど切断寸前(=不全切断)状態でした。幸い、神経血管は切れていませんでしたが、膝の下腿骨側はばらばらに砕けていて、皮膚も大腿側と一部しかつながっていませんでした。当時、私は、5年生の終わりでしたから、まだ、専門医でもなく、専修医という立場です。集まったのは、2つ下の先生と、その2年目の先生だけでした。このひどい状態を見て、上の先生を呼びましたが、誰も応援に来てくれず、仕方がないので、私が中心になって、手術を始めたのです。まず、徹底的に洗浄します。(感染を確実に防ぐことが、この病院のモットーでした。)感染を防ぐため、徹底的に1万リットル以上のイソジン(消毒薬)を薄めた液、生理食塩水液などで洗います。泡で洗う洗浄装置があって、それを使います。洗浄だけでも、30分以上かかります。その後、下肢の血を止めて、(駆血といって、腿を縛って止める装置があります。血を止めておく時間制限があります。)1個1個の骨を、パズルのように組み合わせて、キュルシュナー鋼線と呼ばれる針金の線で留めてゆきました。そして、元の形が完成したのです。非常にうまくいって、駆血の時間制限内に出来たのです。
 2つめは、首の手術の話です。首の椎間板ヘルニアを前のほうから骨とともに削ってとり、削ってなくなった部分に、骨盤の骨をとってきて骨移植する手術です。このとき、私は、6年目になっていましたが、脊椎の専門の上の先生は、ひとつ上の先生しかいませんでした。はっきりいって、首の手術を行うには、ふとりとも学年的に経験不足でしたが、私が術者になって、あっさり順調に終わってしまいました。結果ももちろん良好でした。
 このときから、2,3年が、一番、自信に満ちて、怖いもの知らずで、メスが切れた時期と思っています。こののち、手術の怖さ、危険さ、などが加えてわかってきて、慎重になって時間もかかるようになってゆきます。

 また、この病院勤務の時期に、専門分野(=班)を決めました。
 以前述べたように、膝班は、3番目の出張病院で入ることを止め、手の外科班は、定員一杯であきらめました。他には、股関節、腫瘍、肩、脊椎、そして新しく出来た足班がありました。
 腫瘍班は、避けたいと思っておりました。腫瘍=がん に興味があったら、外科、内科を選んでいましたし、整形外科の病気では、死なない が、私のモットーでしたから、選ぶ気はありませんでした。
 迷ったら、脊椎でした。だれが来てもOKが班の空気でした。脊椎の手術が出来たら、どの場所の手術も怖くない と考えていましたので、最終的に脊椎班を選んだのです。実は、脊椎の手術は、経験数が少なく、手薄の分野でもありましたので、手術の腕も上がればよいとも考えておりました。が、これ以降、5番目の出張病院、慶応病院、そして、最後の西窪病院と、手術をしてまいりましたが、時間がかかるような、大きな手術はほとんど機会に恵まれず、結局、脊椎外科医としては、一人前になれませんでした。
 脊椎班に入って、研究はと言うと、生化学班に入り、基礎の研究をはじめることになりました。休みの日や、忙しい勤務が終了してから、慶応病院の医局室の隣の研究室に通うことになります。基礎の研究で行ったことは、細胞の培養、動物実験での培養細胞の移植(=椎間板の細胞を培養して、ウサギ、犬の椎間板に移植する実験)。椎間板の酵素を分離する実験です。(試験管振り、遠心分離、カラムクロマトグラフィー、電気泳動など、化学の実験で行うことを一通り、行いました。)つくづく、学生時代、しっかり勉強しておけばよかったと悔やんだ時期でもあります。実は、化学、物理は高校時代から大の苦手で、大学の時はほとんど0に近い点数でしたから、(それでも進級はできました。)基礎知識はほとんどなく、まるでわからないのです。いまさら、学生時代の教科書をもう一度勉強する気にもなれませんでした。あまりの知識のなさに、困っていましたが、そこで探し当てたのが、ブルーバックスシリーズです。この本は、読みやすくなっている専門書と言うのがよいと思います。知識が全くなく読むと、おそらく難しすぎて書いてある内容がよくわからないはずです。医学に関連ある項目は、出来るだけ多く読み漁り、おかげで、基礎知識は最低レベルは確保できました。特に、化学方程式と呼ばれるものは、見るのもいやだったのですが、化学の面白さもわかる様になり、読み取ろうとする力が出てきたことには驚きでした。そして、研究もいろいろ行ってくると、今まで何が書いてあるかまったく解らなかった、基礎の論文の内容がわかるようになったのです。(今はもう忘れてしまいましたが・・・)結局、この研究は、途中で挫折して論文にまとめられませんでした。(その研究途中の時点でもまとめれば、博士論文は取れると言われたのですが・・・)
 一方、他科の力ある教授の下では、細胞培養の手技の確立だけで博士論文になっていたのは驚きです。私の軟骨細胞の培養を行ったその段階だけで論文になって博士号を取っているようなものです。しかし、他方では、生理学教室(基礎医学)に行った同級生の博士論文は、あらゆる化学の方法を駆使してデータをそろえていて、さすが基礎医学者と感嘆したものです。(自分も化学の実験を行っていたので、その方法論がわかったのです。)ちなみに、この同級生は、内の学年の中では、最も早く、教授になりました。私の同級学年は、学生時代は、天才肌の方もいなく、ぱっとしませんでしたが、かなり、教授が出ていると思います。ひとつ上の学年の方が優秀といわれていましたので、わからないものです。

最後に、
 ここでつくづく感じたことは、基礎の研究は、臨床(=病院勤務)をしながら合間に行うぐらいでは、とても成し遂げられない と言うことです。臨床から離れて、研究に没頭するようにしないと、思うような研究が出来ませんでした。一度データが出たので、もう一度確認の実験を行って確かにしたくても、その時間がないのです。一回だけのデータで,発表しなければならないことになり、データに自信がないことも、発表の時、質問の返答に失言した理由のひとつです。
| コーヒーブレイク | 17:52 | - | - | - | - |